【アウトドア部】相模原を基点にアウトドアを愛する、体育会系の部活動です。


アウトドア部の活動の告知や報告などを行います。
by outdoor-bu
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ryoma sakamoto
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アウトドア部 部員募集中!!
 相模原市内在住、在勤はお構いなく、アウトドア好きの方で部員の紹介があれば誰でも参加できます。現在部員は50名弱年齢層は30代が多いかな。
 毎年、花見・BBQ・キャンプ・釣り・素もぐり・ジェットスキー・スキー&スノボー・山登り・ほたる鑑賞・ハイキングなどを通して自然を愛し、日ごろのデジタルな生活からスローライフを取り戻そうという部活動です。
 部員はみな、それぞれに独立な生活を送っており、それぞれが今までの人生で体験したすばらしいものをまた他の部員にも体験してもらおうと言う主旨で、それぞれが独自に幹事になり、運営を行っております。
 「自然を愛することは、晴れの日も、雨の日も、雷の時も同等に愛することだ」とネィティブ・アメリカン(インディアン)は言った。晴れの日しか愛せないのは、自分の都合を望んでいるだけで、自然そのものを受け入れ愛することではないという。本当の意味で自然を愛することで、今より心の生活が豊かになれば・・。そう考えて運営してまいります。
どうぞこれからも宜しくお願いします。
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餅つきやるよ!

 場所は、小池設備本社前の駐車場で12月30日(土)14時ごろからはじめます。
寒中BBQも同時開催ですので、温かい格好でお越し下さい。お時間のある方は、昼前から準備をしてますので、お手伝いを御願いします。

 差し入れ歓迎!待ってるよ!
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by outdoor-bu | 2006-12-30 17:00 | 活動告知

寺田屋襲撃事件

龍馬は、薩長同盟の二日後の1月23日。京都伏見の寺田屋に宿泊中、伏見奉行所の襲撃に遭います。その搦手の動員人数はなんと約100名!龍馬とその護衛者三吉慎蔵たった二人を捕獲する為に、伏見奉行所はこれほどの人数を動員しています。

深夜2時ごろ1階で風呂に入っていた龍馬の恋人「お龍」が異変を感じ(覗きか!?)、格子から外を見ると搦手が大勢いることに気が付きました。お龍は素っ裸のまま、2階の龍馬の部屋や飛び込んで注進しました。

龍馬は、袴もつける間もなく、高杉晋作に貰ったピストルを構え、三吉は槍の名手であった為、槍と刀を身に付け応戦します。この時期、西郷隆盛から「何かあったら薩摩藩士と名乗ってよい」と言われていた龍馬は、「我々は薩摩藩士である。なぜ、上意を受けるのか!?」と伏見奉行に言いますが、相手は容赦しません。

寺田屋は大乱闘になりました。龍馬のピストルは火を噴き、三吉の槍は次々と相手を倒していきますが、龍馬は相手の刀をピストルで受け損ねて、右手の親指と人差し指を負傷します。かなりの傷だったようで、指が取れかかっていたようです。

戦場が一息ついた時、三吉は「しかる時は、なお敵中に突き入りて戦うべし」と言いましたが龍馬は「この間に逃げよう」と言い、龍馬はピストルを捨て、三吉も持っている槍を投げ捨て、ふたりで裏階段を下りてみると、外の敵は寺田屋内部に気を取られ案外簡単に寺田屋を脱出出来たようです。このとき、隣家の戸締りを切り破り、(隣家に)挨拶をして小路に逃れ出で、しばらく両人とも息を休め、それより又走ったようです。

そして川端に材木置き場があるのを見つけ、その棚の上に両人とも密かに忍び込み、三吉が「ここでともに割腹しようではないか。敵の手に落ちれば見苦しい。」と言うと、龍馬は「死ぬ覚悟ができているのならば、君はこれより伏見薩摩藩邸へ走ってくれ。もし、その途中で敵に会えばそれまでだ。僕もまた、この場所で死ぬまでだ。」と言ったといいます。このとき、龍馬の右手の傷は動脈を切られ、かなりの出血と、薩長同盟成立の為にほとんど寝ていなく、1月の寒い中、薄手の服装だった為、瀕死の状態で、あったようです。

龍馬にそのように言われた三吉は、川で染血を洗い、わらじを拾って旅人に身を変じ、伏見薩摩藩邸に駆け込んで救援を求めました。
しかし、それより一足早く、お龍が伏見薩摩藩邸に報告に走り、龍馬の救援を求めていました。
薩摩藩は藩の旗印を押し立てて一個小隊を引き連れて龍馬の救出に向かい、無事に潜伏していた材木小屋から龍馬を助け出しました。じつに物々しく、幕府を挑発する行為ですが、幕府も薩摩藩と戦争になることを恐れて手が出せなかったといいます。
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当時、「武士道は死ぬことと見つけたり・・」が、主流の世の中。切羽詰ると、「死」を常に意識していた時代です。坂本龍馬も同様に、常に「死」を覚悟していました。『はてさて人間の一生というのは合点のいかぬものよ、 運の悪い者は風呂から上がる時に金玉をぶつけて死ぬものもある』
このように生死は自然現象だから、これを計算に入れていては、大事はできない。と考えていたようです。
死を怖がっていては、何も出来ない。しかし、万策残るうちは精一杯生きぬいてやろうという姿勢は、現代も、自殺者が後を絶たない状況ですが、共感を得られるのではないでしょうか?
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後日、龍馬は桂小五郎と再会した際、互いに無事を喜び合った時のエピソード

龍馬が桂に、「寺田屋にいなかったのは本当に幸運だ。おめでとう。」と言うと、桂は、「幸運だって?俺も一度は裸でご注進というありがたい目にあってみたいものだ。」
と言ったという。
桂にこのように言われた龍馬は、頭を掻きながらお茶を濁したそうです。ふだん硬いイメージの桂小五郎も、案外シャレたことをいいますね。
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by outdoor-bu | 2006-12-23 17:00 | ryoma sakamoto

寺田屋お龍

※今回はちょっと手抜きで転記です。 小池

「寺田屋」お龍

慶応元年一月、薩長同盟を終えて寺田屋に投宿していた龍馬が襲撃された際に、風呂に入っていたお龍が幕吏に取り囲まれたのをいち早く知り、裸で二階の龍馬らに急を告げた。龍馬と三吉慎三は応戦し、お龍は伏見の薩摩藩邸に走り救援を求めた。

こうして難を逃れた二人は事件後、時を経ず中岡慎太郎の仲人(西郷隆盛説有)で結婚し(内祝言は元治元年八月という説有)西郷の勧めもあって薩摩へ湯治に出かける。これが日本初の新婚旅行だといわれている。

慶応三年九月、下関で龍馬に会ったのが最後となった。 
龍馬暗殺の知らせを下関の伊藤助太夫宅で受けたお龍は気丈に振舞っていたが、法事を済ませ髪を切り落として仏前に供え号泣したという。

それからしばらく三吉慎蔵らの世話になっていたが、墓参りのため京都に向かった。近江屋に泊まり龍馬の霊を弔った。

明治元年七月、土佐の龍馬の実家に迎えられるが一年ほどで土佐を離れることになる。兄夫婦や乙女に疎んじられたためという説もあるが環境があまりにも違いすぎて水が合わなかったというところだろう。

土佐を離れて京都に帰り、東山の霊山のの麓に室屋を営んだ。そこは龍馬の墓のすぐ近くであり、墓守をして菩提を弔おうとしたのであろう。だが生活を維持できず、明治五年頃、龍馬の旧友を頼り上京する。

東京では香川敬三(水戸藩出身、陸援隊)らが持ち回りで世話をみてくれた。(晩年「優しくしてくれたのは西郷隆盛だけだった」と憎まれ口をたたいている)しかしいつまでも彼らの行為に甘えるわけにもいかず自活の道を求めて旅館の仲居などをしていたがその折用いていた変名が”つる”ではなかったかという。 

ついで、お龍は大道商人、西村松兵衛と再婚(入籍は明治八年)して横須賀に住んだが、失意を紛らすため大酒を飲み、酔うと口癖のように「私は龍馬の妻だった」とつぶやいたそうだ。この間、松兵衛との間に子をもうけたが残念ながら幼くして亡くしてしまった。

横須賀の生活も満足なものでなかったが、晩年は貧しいながら穏やかに暮らしたようだ。

明治三九年没
  「贈正四位坂本龍馬乃妻龍子乃墓」
龍馬の妻であることを明記するこの墓碑銘は、お龍にとって最高のはなむけになったことだろう。

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佐々木高行(土佐藩)はお龍の魅力を日記にこう記している。
  「有名なる美人なれども、賢婦人なるや否やは知らず。善悪ともに兼ぬるように思われたり」

破天荒な言動は、当時の女性からは大きくはみ出していたようで武勇伝には事欠かない。十八、九の頃、お龍の留守中に借金の証文を手にした悪党が現れ、妹君枝を大坂の女郎屋に、妹光枝は京都島原に連れて行かれた。それを知ったお龍は着物を売って金を作り、ふところに短刀をしのばせて大坂に飛ぶと刺青のあるやくざ相手に直談判した。「殺すぞ」と脅されても「殺せ。殺せ。殺されに大坂まではるばる下りておる。それはおもしろい。殺せ。殺せ」とわめき無事妹を助け出したそうだ。

あまりよい評判を聞かないお龍ではあるが「おりょうの面白さは龍馬の中にしか棲んでいない」
とは、司馬遼太郎氏の至言である。

http://www5.inforyoma.or.jp/~appli/monogatari/oryo.htm↑「龍馬物語」より転記(写真もあります。)
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by outdoor-bu | 2006-12-23 11:15 | ryoma sakamoto